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ギロチン大活躍!切腹大安売り! [比較的マジネタ]

最近、職場でしかウンコをしていないTal.0です。

出社前に飲むカフェオレと、
出社後の適度な運動が、
ほどよく腸を刺激してウンコもりもり夢一杯です。

しかし、一人夜勤だとトイレに行くタイミングが難しい。
腹を下してるタイミングで立ち読みに来たアナタ、
夜勤者に相当逆恨みされてますよ!

ちなみに、食事中にウンコの話をされても大丈夫な人です。
ええ、もちろんカレー中でも!
本格インドカレー屋で下痢ウンコの傾向と対策を議論できる人、募集中です。
叩き出されますけど。


あんまりねー。
ここの場で政治問題を出すことはしないようにしてるんですよ。

要点を1つに絞っても、書いても書いても書ききれなくなるし、
要領よく的確に論じている人が世の中にはウジャウジャいますので、
それらを読んで「うん、うん」とうなずいている方が楽なわけです。

でもねー。

ミスした人間の首をホイホイ飛ばしていくのはどうなんですか?
首をすげ替えれば問題が解決するのですか?

政治の場でも、他の職業や役職でも、
「ミスをしない人間」ではなく、
「成功を求める人間」を活用すべきなのではないでしょうか。
そしてミスの大小や数をあげつらうより、
何を成し遂げたか否かで評価されるべきでしょう。

それを、1つのミスで1つの首を飛ばしていく現状、
独裁者によるものではない、
マスメディアと不定形の世論による"粛正"のように見えます。

仮に首をすげ替えて上手くいく見込みがあるなら良いでしょう。
ただ、今世の中を、政治を、企業を覆っている空気は、
単にミスをしたから責任者でいることは許されないといった、
感情と衝動に支配されている様に思えます。

そうやってどんどん斬首していって、
いつか素晴らしい素質の持ち主に当たるとでも?
一切ミスをしない、人間的に非の打ち所のない、
それでいて仕事は完璧にこなせるスーパーマンが現れる?

政治は国民を映す鏡です。

ここ数年、国政は荒れ放題、何も問題は進展せず、
与党の内輪もめと、野党のなりふり構わぬ政権奪取指向、
目を覆わんばかりの惨状ですけど、
これも反射した日本国民の姿と思えば深く俯くしかありません。

政治家を皆殺しにするまで止まりませんよ、この粛正は。
そして何も問題は解決しません。


なんでしょうねぇ。
みんな、日本を覆う閉塞感にいらだってるんでしょうか。

漬け物石に潰される白菜みたいな気分。

日本人が自ら革命を起こせないとするならば、
黒船を待つしかないのでしょうか。

ま、衰退していく斜陽の国家というのも趣深いかもしれません。
老兵は死なず、ただ朽ちゆくのみ。
自分の人生すら背負えない若輩者にとっては、
国を憂うことも遠く虚ろに思えるのです。

年上と結婚する程度の能力 [比較的マジネタ]

一昨日・昨日に引き続き、超ローカルの話題

謎の重大発表を携え帰郷した中学時代の同級生"H.K"氏。
固唾をのんで発表を待つ我々にもたらされたのは、
マンション買いました」
などという激しく肩すかしな発表だった。
憤り、落胆し、深奥から沸き上がる呪詛を抑えつつ、
なんとか平静を取り戻した一同は"H.K"氏の呟きを耳にする。

「ついでに結婚しますけど」

な、なんだってー!?


その場に奇妙に重い、平板な空気が張り詰める。

いつもの下らなくも愚かしい"H.K"ジョークか?
それともついに妄想と現実の境が判別できなくなったのか?
さっきも『雪歩は俺の嫁』とか言ってたし。
ちゃんと頭頂部を保護しておかないから、脳が若干量蒸発したのかもしれない。

どうツッコミをいれても痛いリターンが帰ってきそうな雰囲気に、
皆、口を半開きにしながら固まる

そもそもツッコミは専門外、ツッコまざること山の如しを信条とするオレ。
しかしいつまでも時を止めてはいられない。

「………なんだって?」

かろうじて聞き返す。

「結婚します。なんとなく」

半笑いで答える。

……


な、なんだってー!


"H.K"氏と言えば結婚願望は仲間内では随一であるものの、
そのあまりにも特異なトータル性能ゆえに実現可能性を疑問視されていた。
性能諸元は伏せておくけども。

ゲーム会社に勤める正社員だから、
フリーター等々に比べれば客観的条件は満たされてると言っていい。

つまり、安定収入や年齢等の一般的条件は満たしていたものの、
彼個人の資質があまりにも、そうあまりにも結婚とは縁遠いように思えていたのだ。
詳しい性能諸元は伏せておくけども。

あ、ちなみに外見云々の話ではない…うん。
人格に問題が…って言うと語弊があるな。
友達としてつきあっている分にはチャームポイントと言っていいんだけど、
(と、そこまで言うと全方向からブーイングが発生するだろうけど)
こと一般的な女性とつきあい、そして結婚へ…という道を想定した場合、
チョモランマクラスのハードルになりこそすれ、
攻略の武器になりそうにはとても思えないのだ。

そう、ついさっきまではそれが皆の共通見解だったのだが。

人は成長し大人になっていく。
彼も例外ではなかったらしい。

詳しく話を聞くと姉さん女房だとか。
"H.K"氏の今までの二次元キャラ履歴を参照すると、
いわゆる守ってあげたいキャラが多いように見受けられるけど、
現実世界では彼をリードするような女性が向いている気がする。


その日は勤務日だったから最初のビール一杯だけで、
さほどアルコールは回っていなかったものの、
ホッとすると同時に少し幸せな気分になる。

もちろん、中学の頃から知っている友人が結婚するともなれば寂しさはある。
それは大人へと歩む友達の背中を見送る、
学生時代に何度も経験した焦燥や眩しさと同類のものだ。

でも今回は胸を包む暖かさがそれを少し上回る。

人が幸せになる姿を見て、自分も幸せになれる間柄こそが、
友人と呼べるのかも知れない。

何度となく「めでてぇなぁ…」と呟きながら、
ふとそんなことを思ったりもした。


実は"H.K"氏は実名でググるとインタビュー記事が引っかかったりする、
ゲーム好きなら誰でも知ってる会社に勤める音屋さんなのだ。

本当は実名でお祝いしたかったものの、
まだ入籍していない状況で何か問題を起こしても申し訳ない。
よって今回はイニシャルで記事にさせてもらった。

過去の記事では実名で登場しているので、
探 さ な い で ね ♪

というわけで、
"H.K"、本当におめでとう。

そのうち新居を破壊しに全員で押しかけます!

死者はヒトラーの夢から覚めたのか [比較的マジネタ]

『ヒトラー ~最期の12日間~』(原題:Der Untergang・「滅亡」の意)は、
2004年公開のドイツ・オーストリア・イタリア共同制作による戦争映画。
オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督。 byWikipedia

公開されたときから観たかった映画だが、上映館が限られていた上、
DVDレンタルもずっと貸し出し中だっため今日まで観ることができなかった。

1945年、ドイツ
首都ベルリンにソ連軍が迫る中、
秘書としてヒトラーのそばにいた女性の視点で、
終戦間際から直後までを描く。

戦闘シーンは最小限に抑えられ、
コンクリートで塗り固められた閉じた地下壕の中で、
ほとんどのシーンは進んでいく。

ゆっくりと冷たく染みこんでいくような絶望。

かつての勝利も栄光も形骸と化し、
地図上の軍隊にヒステリックに指揮を命ずるしかない。
その虚無を自身で把握しながらなおも、
総統として朽ちていく一人のドイツ人としてヒトラーは描かれている。

それは怪物でもなく、超人でもなく。

悔恨や憎悪は無いといってもいい。
ただ、暗い沼の汚泥が身を浸していく感触。

これはかつての同盟国であり、敗戦国でもある日本人だからこそ、
余計に感じ取ってしまう想いなのかもしれない。

もちろん、オレ自身は先の大戦はおろか、他のあらゆる戦争に遭遇していない。

それでも、信じていたものが幻想に過ぎず、
その幻想すら世界に否定され、
厳然たる裁断として死が覆っている道をゆくのは、
かつての日本人が辿った道程と一緒だ。

描かれた地下で過ごす生活も、結末が最初から決定されている。
六人の子供達が楽しげに歌う歌声ですら、絶望を煽る葬送の響きになる。
母親の手によって静かに殺される、その時を迎えるための。

戦争=悪な教科書的なつくりはされていない。
“考えさせられる映画”なんて胡散臭いものでもない。
秀逸な、戦争を描いた映画に共通の、
“感じることしかできない映画”だ。

『フルメタル・ジャケット』では滑稽さを、
『ブラックホークダウン』では恐怖を、
そしてこの映画では深い絶望を。

善や悪を越えた、一人の人間には押しとどめることの出来ない、
激しく波打つ濁流の中に戦争という一つの現象がある。

僅かな人生の中で愚かさを捨てきることが出来ないように、
人類と戦争の営みは限りなく続いていく。

何が出来るかという選択肢は無かったとしても、
何を思うかという自由はあると信じてる。
それ故に戦争映画は生み出されているのかもしれない。

たとえ地上から戦火の途絶える日が来なくても。


噫無情 [比較的マジネタ]

神などいない。

少なくとも世界を創った何某かの存在は、
人類の事など微塵も顧みることはない。

ただ生まれ、ただ死ぬ。
極大にも極小にも意味など無い。

死者への意味は、我々の胸に創り刻むしかない。

愛知で現在進行形で在る、立て籠もり事件。

そこでSAT、特殊急襲部隊が作戦行動中の初の殉職者をだした。

林一歩巡査部長。

妻と生後一年に満たない娘を持つ、23歳の青年。
警察学校を首席で卒業
機動隊から選抜されてSATへ。

日本警察が抱える対テロ特殊部隊、SAT。
心身共に強靱さを求められ、
日々を過酷な訓練に費やし、
その任務の特殊さ故に、親にさえ所属を明かすことが出来ない。

そして凶悪犯罪発生時には、その身を悪意と殺意に晒すことになる。

死ぬべき状況でも、
死ななければならない理由があったわけでもない。

先に負傷した警官を救出する作業の援護を後方から行っていた。

その時。

元暴力団員が、その欲望に赴くままに50まで生きた男が、
軽薄な癇癪で、いたずらに、そこに意志を込めることなく、

無意味に、

引き金を引き、撃鉄が落ち、雷管が発火し、装薬が燃焼し、
ガスが膨張し、弾丸が前進し、銃口を飛び出してしばし飛翔した後、

左鎖骨付近から進入して、心臓を破壊した。

その発砲した男の、
その半分にも満たない年齢を、
公共の安寧のために努めた青年の命を、

破壊したのだ。

神などいない。

善い人間も、悪い人間も、等しく無価値である。

そう諦観して、生を浪費しているが、

それでもなお、

それなのになお、

己の中の、否応なく湧く、喩えようのない熱を、
もてあまして言葉にせずにはいられない。

書き吐き出さないと泣いてしまいそうだ。

叫べば歌になり、叩きつければ踊りになるだろう、
衝動こそが死者へ贈る、生の意味になるのかもしれない。

林一歩巡査部長の安らかな眠りをお祈りします。
そして、残された家族には誇りと共に生きる未来を……


蛙の子は蛙になるとは限らないと信じたい [比較的マジネタ]

DQNの方々もよくご来店されます。

DQNは侮蔑語らしいので、出来れば他の言葉を使いたいのですが、
周りの迷惑を顧みず大声で喚きながら店内徘徊する、
そんな謎の人種をどう一言で表現すればいいのかオレにはわからないのです。

ヤクザの方々もよくご来店されますが、
ヤクザさんの方がよほどまともな姿格好&マナーですよ。

まぁ、そんなDQNさんも結婚するわけです。
というかむしろDQNさんは早婚率高めだったりするわけで、
大層お若いうちに子連れだったりもするわけです。

今日も、そんな子連れDQN一家がご来店されたのですが、
DQN親御さんは自分の買い物に専念しているらしく、
お子さん二人は完全に野放しといった様相で、
店内を自由奔放に探索していました。

まぁ特に騒がしいとか、明らかに商品に損害を与えているとか、
そういった様子ではなかったので、
心の中で舌打ちするだけでとどめていました。

ですが。

その二人のうち、年少の方、2~3歳の女の子を、
ふと見たオレは一瞬にして血の気が引きました。

その女の子は売り場にあったライターを手にしていたのです。

かなり手慣れた様子で火を付けた瞬間、
そばに駆け寄っていたオレは女の子の手からライターを取り上げました。

……

このことにDQN親御さんは全く気付いておられないようでした。

万一怪我をしたときのお店の責任問題というのもありますが、
それ以上にオレの心を締め付けたのは、
女の子が"手慣れた様子"でライターを操作したことです。

つまるところ、その女の子が日々生活する空間では、
ライターが無造作に置かれていて常に触ることが出来るということでしょう。

親の動作を子供が見様見真似で模倣するのはごく普通のことです。
それ自体は。
それ故に親は自分の仕草に気を配るべきですし、
子供の手の届く範囲に危険物を置かないのは一般常識の類でしょう。

親が子供の前でタバコを吸い、そしてそれを真似て子供がライターを弄ぶ。
とても正気の沙汰とは思えません。

夜勤をしていますと、真夜中に上記のような乳幼児を連れて来店される、
若いご夫婦が稀にいらっしゃいます。

乳幼児の睡眠時間はとても長く、そしてとても大事なモノと聞いております。

深夜に起こして連れ歩くのは、健全な発育に悪影響を及ぼすのではないでしょうか。
時に親子の触れあいより、キチンとした睡眠の方が優先されるのではないでしょうか。

ライターを取り上げたオレを見上げる、
その年齢に相応しい無垢な笑顔は、
僅かに残る良心を責めて止みません。

願わくば、子供達に現在より少しマシな未来を。


事実上の情報統制 [比較的マジネタ]

外務省、日本人記者のイラク英軍同行拒否を英側に要請 読売新聞

イラクでの治安権限移譲式典に対する日本の報道機関の同行取材申し入れをすべて却下、
そして英軍が外国人ジャーナリストに警護をつけて取材をサポートするサービスにおいて、
日本人記者は断ってくれ…とおっしゃってるわけです。

日本の外務省が!

目眩と頭痛でクラクラします。
一瞬気が遠くなりましたよ。


実はこれは前フリがある。

読売新聞朝刊で6/29・30・7/1の三日間、『イラク取材記』という記事が連載されていた。
飯塚恵子さんによる署名記事で、
記者二人に警護の英兵16人という手厚い警護のもと、
記者が見たままを等身大の表現で伝えてくれる興味深い内容だった。
特に今回の取材記は、現地に展開している英軍に焦点を当てたもので、
従来多かった、イラク市民や米軍の記事とは違う面白さだった。

一日目は英軍と共に行った取材にまつわる治安話、
二日目は英軍とイラクとの関係性や英軍の苦悩に触れる話。

そして三日目、おそらくこの記事が全ての核心なのだと思う。

サブタイトルを記そう。

『「閉ざされた」陸自活動 積極広報の英軍と対照的』
(引用目的として期間限定スキャンUP)

タイトル通り、積極的に自国や諸外国のジャーナリストを受け入れている英軍と、
自国のジャーナリストすら門前払いを食らわせる防衛庁および日本政府について書かれている。

正気を疑う。

民主国家の原則の一つとして、軍隊の文民統制(シビリアンコントロール)がある。
文民とは狭義には政治家、そして本来の意味として我々一般市民を指す。

軍隊の指揮監督権は文民にあり、その活動はすべからく文民の知るところに無ければならない。
その一環として軍隊は積極的に広報活動するべきだし、
またジャーナリストの受け入れはごく当然の話と思う。

はたして文民統制を失った国家がいかなる運命を辿るか、
それは諸外国の例を探すまでもない、数十年前の我が国の歴史を振り返るだけでいい。

軍人の独断専行と恫喝に怯えた政治家による文民統制の事実上の放棄。
その道行の末はあえて語る必要もないだろう。

現在日本は民主国家の体裁をとっている。

しかし、その憲法には文民統制は記されていない。
当然である。
憲法では軍隊そのものが規定されていないからだ。
軍隊が存在しないから、文民統制も存在し得ない。

ここで自衛隊が軍隊か否かを論議はしない。
自衛隊を自国内でなんと言おうと、外から見れば国防を担う軍事組織=軍隊である事は明白だ。

そう、我が国の軍隊にはそれを制御する為の手綱がついていない。
これは民主国家における怪談としか言いようがない。
我々の手から離れた、謎の武装集団。

もちろん、自衛隊法第七条に指揮監督権は内閣総理大臣にあると明記されている。

…が、それだけだ。

全ては老朽化した憲法を遵守するあまり、自衛隊をこの世に存在しない、
触れてはいけない忌み子のように扱ってきた歴史ゆえである。

戦争はイヤだ、ラブ&ピース。

臭いモノに蓋をし、目を背け、話題にすらせず、
放置してきた結果がこれだ。

ことさらに平和しか口にせず、戦争を論じる人間を白い目で見てきた人種が、
ここまで日本を危険な状況に追い込んできたのだ。

ラブ&ピースの笛の音に心地よく乗せられて海へダイブする鼠の群れか。

Si vis pacem, para bellum.

汝、平和を欲するならば戦いに備えよ

ジャーナリストの受け入れを拒む防衛庁を見て改めて思う。
憲法を改正し、自衛隊を日本軍と位置づけ、そしてその統制を文民に取り戻す。
これは防衛庁を防衛省に格上げするより優先されるべき事だ。

そしてなにより、それが軍の独断専行による愚かな戦争勃発を防ぐ最良の手段だからだ。

(ここでひとつ、憂鬱な話。
文民統制が行われている近代国家でも戦争は起きる。
何故か?それは隣国が攻めてきたか、もしくは自国民が望むからだ。
国民が戦争による国家意思の遂行を求めたら、もはやブレーキは存在しない。
ここで真摯にラブ&ピース!)


きっと今回の読売記者の行動が、政府の神経を逆撫でしたがゆえに、
上記のような外務省要請が行われたのであろう。

あらためて『イラク取材記』を読み返すと、最終日の記事の左脇に、
外務省要請記事も小さく載っていた。

ジャーナリズムの欠片も持たないオレでさえ、
この外務省の行為は情けなさと怒りで震えさせる。

イラク取材記と同じく【飯塚恵子】の名で記されたこの小さな記事を、
彼女はどんな思いで綴ったのだろうか。

「素敵な話じゃないか、これが俺達のシビリアンコントロールってヤツさ」

          機動警察パトレイバー2 THE MOVIE 荒川、電話にて


パスタとワインと米と酒 [比較的マジネタ]


たまたまラジオを付けたら、自殺者の増加の話題だった。

Wiki:自殺

経済は上向き始めたのに、自殺の増加は止まらない…みたいな話だった。

ま、そりゃそうだ。
日本の社会構造が『努力と根性があって当たり前』という仕組みで出来てるから。
言ってみれば『日本人道』だな。
武道の道と一緒で、自らを研ぎ澄まし極めるという道だ。
そのためには全てを擲って忍耐に忍耐を重ねなければならない。

そうやって末端の人間を純度の高い日本人に仕立てあげての経済繁栄だ。
どうしてもそこから零れる人間は出る。
そして零れたが最後、もはや日本人として否認されたがごとく絶望の淵に沈む。

先の大戦の頃からまるで変わっていない。
日本人個人単位のポテンシャルに依存して戦った前世界大戦の話だ。

日本の師団は一端前線に派遣されたが最後、よほどの事がない限りその土地に張り付き居座り続ける。
一年、二年と支給された一張羅の軍服を繕いながら着続け、休暇なんかどれほど取れたのか疑わしい。

アメリカの師団は、
“戦闘が一段落すると別の師団と交代して後方に退って、損耗した兵員を補充したり、
教育訓練をするのが二ヶ月、そして四ヶ月が休養(交代でレジャー)となっている。”
(引用 『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』)

実際に戦闘に携わっている期間が圧倒的に短い。
人間に対する考え方が違うのだと思う。
アメリカはきっと組織に置いて人間を“信頼の置けないパーツ”だと認識しているのだろう。
だからこそ、少しでも信頼性をあげるために、組織構造を、それを形作るルールを積極的に更新していく。
人間の中身を向上させ、その努力に頼ることはハナから諦めている。
努力と根性には限度があるのだ。

オレが言うまでもなく、日本はまさにこの真逆だ。
多少非効率的な組織構造だったり、非効率的な方法だろうと、
当人の努力と根性で勝利することを(当然のごとく)求められるのだ。
その結果が敗戦であり、自殺者の増加(先進国ナンバー1!)であり、
そして昨今の善意を前提とした法律を抜けた企業不祥事にもつながってると思う。

人間は愚かで、誘惑に負け、仕事をサボり、アホみたいなミスをするのが当たり前なのだ。
努力と根性で国民を均質化しようとすること自体、無理な話なのさ。

それを日本人は中々認められないまま、同じコトを繰り返している。
上層部も末端も同じ。
上層部はクビが飛ぶだけで済むが、末端は自殺するしかないだけの話だ。

自殺者を減らすには、日本人全体の意識が変わらないと無理だと思う。
ラテン系思考。
イタリア人みたいに食べて飲んで愛を歌い踊って生きていくしかないだろう。

イタリアの自殺率要注目!

笑っちゃうくらいイタリアの自殺率は低い。

これくらいお気楽に生きられたら幸せだろうなぁ。
憧れるね。

P.S.
自殺しようとしている人が目の前にいたらオレは止めない。
人類がこの地上に誕生して以来、生きているコトを苦痛に思う生物なのだ。
それは各種宗教教義にも如実に現れてるから、あえて声高には語らないけど。
苦痛に喘ぐ人に差し出す、確かな甘露をオレは持ってないし、知らない。


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